「これは食べられる」は、親の思い込みだったかもしれない

エビトマトクリーム 偏食ごはん

今日のお昼は、エビとトマトのクリームパスタでした。主な材料は、エビ・あらごしトマト・玉ねぎ・にんにくです。

トマトクリームの味そのものには、慣れているはずでした。無印良品の「紅ずわい蟹のトマトクリームソース」を箱でリピート買いしているくらい、我が家で愛されている味だからです。

ただ、家で作るトマトソースのパスタは、いつもフレッシュトマトを使って、コンソメや魚介で旨味を出すタイプ。今日のようなクリーム仕立ては、市販のソースで食べることが多いメニューでした。

子どものぶん。この時点では、エビも全部のっています

パスタは完食、でもエビは1匹だけ

結果から書くと、パスタそのものは完食でした。麺もソースも、きれいに食べきっています。

ところが、エビは1匹だけ。残りは無言で、そっと私のお皿にやってきました。いつものことなので、我が家ではごく自然な光景です。櫛形に切った玉ねぎも、同じように残されています。

「エビフライは食べられるのに、なんで?」

不思議だったので、聞いてみました。エビフライなら食べるからです。

「エビフライは食べられるのに、なんで?」

返ってきた答えは、こうでした。

「(エビフライも)あんまり好きじゃない」

――これは、予想していませんでした。

私はずっと、エビフライを「食べられるもの」に分類していました。出せば食べるからです。だから、エビそのものも大丈夫なはずだと思っていました。

でも本人からすれば、エビフライも「好きではないけれど、食べられなくはないもの」だったのです。

玉ねぎも、切り方で残される

残された櫛形の玉ねぎにも、心当たりがありました。

同じ玉ねぎでも、みじん切りにしてソースに溶かしてしまえば食べられます。今日のように形が残っていると、残す

以前ペッパーライスを作ったときのコーンと、まったく同じでした。コーンだけを出すと食べないのに、ごはんに混ざって散らばっていれば食べられる。味が嫌いなのではなく、どういう形で目の前に来るかが問題なのだと思います。

「食べられるものリスト」は、親が作ったもの

長く付き合っていると、頭の中に「食べられるものリスト」ができあがります。買い物のときも、献立を考えるときも、私はそのリストを見ています。

でも今日わかったのは、そのリストは私が観察して作ったものだということです。本人に確認したわけではありません。

「食べている」は、「好き」とは限らない。 食べられなくはないから食べている――そういうものが、あのリストにはいくつも混ざっているのだと思います。

私のぶん。このあと、エビが増えました

それでも、聞いてみるとわかる

今回のパスタの判定は、「まあ食える」でした。

「また作って」ではありません。でも「もう作らないで」でもない。ちょうどその中間の答えです。また作れば、たぶん食べてくれると思います。

食べられるものを増やしたいと思うと、つい「食べた」か「食べなかった」かだけを見てしまいます。でも本人の中には、もう少し細かい段階があるようです。

聞かなければ、私は今日も「エビは食べられる」と思ったままでした。

次は、玉ねぎをみじん切りにしてみようと思います。それから――エビを蟹にしたら、どうでしょうか。 無印のソースで慣れている味なら、食べてくれるかもしれません。また試して、記録します。

(形を変えると食べられた話はこちらの記事に、栄養の工夫についてはこちらの記事にまとめています)

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